クリニック新聞4月号「”よかれと思って”はちょっと待って!」
こんにちは😀
GW明けの疲れが出てくる頃だと思います。リズムを取り戻すまでは、のんびりといきましょう☕
さて、先月号のクリニック新聞のテーマは「”よかれと思って”はちょっと待って!」でした。
障害のある人や病気をもつ人を援助するとき、家族や援助者は「よかれと思って」行動することがあります。
でも、それには少し注意が必要です。
例えば、診察で医師からの質問に対して、「上手に説明してあげなきゃ」と本人より先回りして家族が答えたり、
支援方針を決める際に、「この支援が必要に違いない」と援助者が主導的に方向性を決めたりすることがあります。
これらは「代理行為」とよばれますが、この行為の背景には”この人は障害があるからきっとできない。私が早急になんとかしなければいけない!”という気持ちがあるかもしれません。
これはとても危険なものです。
例えば、上記の例でいうと、診察で仮に上手に説明できなかったとしても、本人の話し方や視線、声のトーンや言葉のチョイスなど様々なことを情報として医師はみています。
また、援助者からみた最適な支援が、本人が心から望んでいる方向性と一致しているとは限りません。
「役に立つ」or「立たない」は行為者(家族や援助者)が決めることではなく、「受け手が感じることだ」と忘れずにいることが大切です。

障害や病気をもつ人は、できないことや難しいことがあるかもしれません。
でも、本人には本人としての役割があり、自分の人生を切り拓いていく力があること、その力を周囲の人々が信じることが関わる上でとても大切です。
それに、無意識に代理行為をしてしまうと、本人との関係が崩れたときに「せっかくよかれと思ってしたのに」と本人を批判する気持ちが出てくるかもしれません。
本人との関わりの中で「わからない」「不安」という気持ちを感じると、それを早く取り除こうとして自分(援助者)で答えを導き出そうとしてしまいがちです。
でも、頼りない存在に映るかもしれない本人の世界に自分の不安とともに付き合っていくうちに、新たな視点が生まれることもあります。
自分の中に生まれた「善意」や「良かれと思って」の気持ちが、「自分」を中心とした視点から出発したものであることに気づくことで、ひとりよがりの関わりを防ぐことができるはずです🌱
【引用文献】山本智子(2024)みえているけど”気づかないこと”ナラティヴの向こう側.こころの科学,236,2-7