クリニック新聞12月号「どうして”誤解”が生まれるの?」

こんにちは😊

新しい年が始まりましたね🎍みなさまにとって素敵な1年になりますように✨

さて、先月号のクリニック新聞のテーマは「どうして”誤解”が生まれるの?」でした♪

ASD(自閉スペクトラム症)の特徴のひとつに「言葉を字義通りに受け取る」というものがあります。

例えば病院での診察中。

医師が「調子はどう?」「具合はどう?」と質問したとします。

この質問は、前回の診察から今日までの間に症状が重くなったとか軽くなったとか何か変化したことはあるかな?という意図で尋ねています。

しかし、患者さんがASDの方の場合、「”調子”って身体の状態のこと?それとも心?それ以外?いつからいつのことを答えればいいの?」などと考えるかもしれません。

そして、考えが進むうちに何を尋ねられているか分からなくなり、黙り込んでしまう場合もあります。

周囲から見ると、話すことを拒否しているように誤解されがちですが、そういうわけではありません。

なぜこのようなズレが生じるのでしょうか?

上記の例では、患者さんの「調子」や「具合」の言葉の意味が具体的で一義的であるのに対して、

医師の「調子」や「具合」という言葉は曖昧で多義的であるために生じた問題です。

いってしまえば、2人が持っている辞書が異なっている状態といえます。

このような「誤解」はASDの方に限ったことではありません。

(反対に、ASDがあるからといって必ずこのような誤解が生じるわけでもありません)

例えば友人同士で話をしているとき。

誰かが冗談で「お前、ふざけるなよ!」と言ったとします。

言った人の”辞書”では「ふざけるな」という言葉は軽い意味で使ったとしても、言われた側の”辞書”では「ふざけるな」が重い言葉かもしれません。

そうなると、認識のズレからトラブルが起こってしまいます。

このように、同じ日本語を使っているのにその言葉にどういう意味やニュアンスをもっているかは人によって異なります。

ASDの方はその特徴が特に強いですが、このような問題は誰にでも起こることです。

人は親子や夫婦など関係が深い相手ほど「ここまで言わなくても伝わるだろう」と思い込みがちです。

特に日本は「以心伝心」「阿吽の呼吸」という言葉があるように、口数が少ないことを美徳とする文化があります。

しかし、どんなに長く一緒にいる相手でも持っている言葉の辞書は異なっているものだという前提でコミュニケーションをとることが大切です。

「あなたの話をこのように理解したけれど、これで合っているかな?」「今の話は分かりにくくなかった?」など、お互いにどのくらい理解しているかを確かめる作業を大切にしていきましょう🌱