クリニック新聞10月号「象の”牙”だけを見ていませんか?」🐘
私たちは、誰かの行動や言葉を見て、「この人はこういう人だ」と判断してしまうことがあります。
しかし、目に見えている姿は、その人のほんの一部分にすぎないのかもしれません。
今回は、少年院で生活する若者たちの姿を通して、人を理解することや、相手の話に耳を傾けることの大切さについて考えてみたいと思います。
少年院にはどんな若者たちがいるのでしょうか?
少年院は、法務省が管轄する矯正教育施設です。
家庭裁判所の審判を経て、保護処分として送致された若者たちが生活しています。
「少年院にいる若者」と聞くと、「怖い」「危険」といった印象を持つ方もいるかもしれません。
確かに、社会生活の中で問題となる行動に至った若者たちがいることは事実です。
しかし、そうした行動だけが、その人のすべてではありません。
少年院で生活する若者たちの中には、幼い頃から家庭内で深刻な暴力を受けてきた人や、周囲から認めてもらえず、理解されない苦しさを抱えてきた人もいます。
さまざまな傷つきを経験し、自分の居場所を求めた結果、危険だとわかっていても、そのような場所に身を置くようになった人もいるのです。
問題となった行動だけを見るのではなく、そこに至るまでの経験や背景にも目を向ける必要があります。

「群盲象を評す」というお話
「群盲象を評す」という故事成語をご存じでしょうか。
目の見えない人たちが象の身体に触れ、それぞれが「象とはこういうものだ」と語るお話です。
- 象の脚に触れた人は「木の幹のようだ」
- 象の耳に触れた人は「葉っぱのようだ」
- 象の鼻に触れた人は「ヘビのようだ」
と説明します。
どの人も嘘をついているわけではありません。
けれども、誰も象の全体を見ているわけではないのです。
これは、私たちが誰かを理解しようとするときにも当てはまるのではないでしょうか。

象自身も「自分が象だ」と知らないのかもしれません
このお話をもう少し深く考えてみると、別の視点が見えてきます。
それは、象自身も、自分がどのような存在なのかを十分に知らないかもしれないということです。
周囲の人から、触れられた一部分だけを見て「あなたはこういう人だ」と決めつけられ続けると、本人もその評価にとらわれてしまうことがあります。
例えば、犯罪や暴力行為という象の「牙」の部分ばかりを見られ続けた子どもは、自分自身を「危険な存在」「悪い人間」だと思うようになるかもしれません。
しかし、その子には過去に傷ついてきた経験もあれば、誰かに認められたいと願っていた気持ちもあります。
危険な場所に身を置いていた自分も、少年院で悩み、揺れ動いていた自分も、すべて本当の自分です。
人にはさまざまな側面があり、その一部分だけで、その人自身を決めつけることはできません。
相手のすべてを理解できなくても、関わり続けること
私たちは、相手のことを理解しようとするとき、「本当はどんな人なのだろう」「なぜそのような行動をしたのだろう」と、答えを見つけようとすることがあります。
しかし、相手のすべてを理解することは、簡単ではありません。
大切なのは、自分が見ているのは相手の一部分でしかないと知りながら、それでも関わり続けることなのかもしれません。
昨日は穏やかだった人が、今日は怒りを見せることもあります。
あるときは素直に話してくれた人が、別の日には心を閉ざしてしまうこともあるでしょう。
そのどちらも、本人の本当の姿です。
一度の言動や、ある場面で見せた態度だけで、「この人はこういう人だ」と決めつけないことが大切です。
答えや解決を急がず、「そうなんだ」と耳を傾ける
自分の気持ちを誰かに話すことには、勇気が必要です。
特に、これまで傷ついた経験のある人は、「拒絶されるかもしれない」「否定されるかもしれない」「評価されるかもしれない」という不安を抱えていることがあります。
そんな中で、ようやく話し始めた言葉に対して、すぐに答えを出したり、解決策を提示したりする必要はないのかもしれません。
まずは、「そうなんだ」と、その人の言葉を受け止めること。
相手の話を聞き、今見えている姿だけがその人のすべてではないと考えながら、関わり続けること。
その積み重ねが、安心して自分の気持ちを話せる関係につながっていくのではないでしょうか。
私たちが子どもたちにできること
今回のお話は、少年院で生活する若者たちだけに限ったことではありません。
家庭や学校、職場など、私たちの日常生活にも通じるものがあります。
子どもが問題となる行動をとったとき、その行動だけを見て「困った子」「わがままな子」と判断してしまうことはないでしょうか。
あるいは、大人同士の関係でも、一度の失敗や言動だけで相手の人柄を決めつけてしまうことがあるかもしれません。
目に見えている行動の背景には、本人にも十分に説明できない気持ちや、これまでのさまざまな経験が隠れている場合があります。
私たちにできるのは、相手のすべてを理解したつもりになることではなく、まだ知らない一面があるかもしれないという姿勢を持ち続けることなのだと思います。
象の「牙」だけで、その象のすべてを判断していないでしょうか。
誰かを理解しようとするとき、そんな問いを心に留めておきたいですね。
参考文献
坂田恵美(2026)「仲間に会いたい 危ない場所だと分かっていても」『臨床心理学』155,571-574.
